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本文
今、日本語の学習が多くの国でプームとなっている。特に若者の日本語学習者数の伸びが目覚しく、日本へ来る留学生もずいぶん増えている。国際交流における日本語の重要さもこれから見直されるであろう。
王さんはアメリカから日本へ来てもう一年半になる。時のたつのは実に早いものだ。王さんがまだ日本語の勉強を始めたばかりのごろ、先生が「二年もたてば、かなり上手になる」と言われたが、確かに先生の言われたとおりだ。
よく日本語は難しいと言われる。王さんも学ぶほど難しくような気がする。王さんは日本語の勉強ずいぶん苦労したにもかかわらず、語彙や文法の点で まだまだ分からないところがある。彼はいま、留学の時間を十分に利用してむだのない毎日をおくっている。そして、来年の夏までに日本語が完全に身につくよ う努力したいと思っている。
会話
鈴木:
王さんのように日本語が達者になるまではずいぶんご苦心があるでしょうね。
王:
いや、私などは達者どころではありません。時々に下らない間違いをして、恥ずかしいくらいです。でもこのごろはいくらか分かってきたような気がします。
鈴木
いくらどころじゃない。ほんとによくお分かりなんだから、そうご謙遜なさらなくてもいいですよ。私はいつも感心しているんですが、発音や調子が日本人そっくりなので、どしてそんなにお上手になったかと思っているんですよ。
王
そうおだてると本気にしますよ。あなたは口がお上手だから。
鈴木
いや、おべっかじゃないんですよ。たいていの西洋人の日本語には、どことなく西洋人くさいところがあるものですが、あなたのには全くそれがなく、いかにも自然なので、実はいつかお伺いしたい思っていたんですよ。
王
日本語の発音はさはどのことはありませんが、閉口するのは長音と短音の区別ですね。これはよほど気をつけないと間違いますね。
鈴木
日本語では何が一番難しいですが。
王
日本語の名詞、代名詞、形容詞、副詞、などの使い方は比較的簡単ですが、動詞や助動詞の変化はややこしくて閉口ですね、ことにテニラハときたらお話になりません。
鈴木
そう言えば、英語の前置詞だってそうでしょう。
王
それはそうですけれども、日本語ほどじゃないと思いますね。その証拠には日本の学生はなかなか上手じゃないですか。
鈴木
あなたもなかなかお世辞がうまいですね。われわれの前置詞の使い方ときたらめちゃめちゃなんですよ。
王
前置詞はそれといっしょに用いる動詞や形容詞にくっつけて覚えるほうがいいですね。
鈴木
それはそうでしょうが、それを覚えるのができないんですよ。ぼくのように忘れっぼい者には、単語や熟語を暗記するだけでさえやっとなのに、文法の規則や例外をいろいろつめ込まなくちゃならないんですから、本当にいやになっちゃいますね。
王
私も忘れることと、怠けることにかけては、引けを取らない方ですから、ほかの人のことは言えないんですが、結局は根気の問題ですね。いくら頭のいい人でも根気がよくなければ語学はだめですね。平凡ですが、こつこつやるより仕方がありませんね。
鈴木
それはそうですね。私もあなたが日本語を話すくらい英語が流暢に話せるといいですがね。
王
ご冗談でしょう。私の日本語などはまだものになっておりません。しかし以前よりは少し上達したと思います。ただ困ることは日本語には実姉と実子とか、私立と市立とかのように、発音が同じで意味の違った言葉が多いのと、単語の発音の似ているのが多いことですよ。
鈴木
そうでしょうね、われわれでもずいぶん困るんですから。
王
それについてはずいぶんこっけいな失敗談がありますよ。電車の中で、「下ろしてください」と言おうとして、「殺してください」と言ってしまって恥をかきました。
鈴木
どうせ外国語で間違うのは当たり前ですから、「習うより慣れよ」と言うつもりで練習するんですね。
王
お互いにそのもりで練習しまょうね。
応用文
一休さんの話
ある日、和尚さまの碁の友達の竹斎さんから、使い人が来た和尚さまにこう言うのです。「いつも、お寺に遅くまでおじゃまをして申しわけありませんでした。まだには一休さんをおつれしてこちらへおでかけください。」
「それはありがたい」
和尚さまは、喜びました。そして、一休さんをつれて竹斎さんの家に来ました。
なんと大きな屋敷でしょう。前を川が流れていて、橋を渡ったところが、竹斎さんの屋敷の門です。
ところが、橋を渡ろうとした和尚さまが、ふと、立ちどまりました。
「…..竹斎め、失礼なやつだ。わしを呼んでおきながら…..」どしたのかと、一休さんがみると、橋を前に、立札がたっています。こう書いてあるのです。
このはしをわたるべからず。
和尚さまは怒ってしまいました。
「竹斎のやつ、自分の屋敷の橋を、直しもしない。きつと、板がくさっているんじゃろう。ばかばかしい、一休や、帰るぞ。」
けれども、そのとき、一休さんは、ははあと思いました。さては…
そこで、和尚さまに言いました。
「大丈夫です。橋の真ん中を通っていけばいいのです。」
一休さんは、すたすたと、渡って行きました。
「こ、これ、一休。危ないぞ。」
「平気、平気。」
とうとう、一休さんは、渡ってしまいました。
和尚さまは、こわごわ、橋の真ん中を通って、「やれやれ。」
そこへ、門をあけた、竹斎さんは現れました。
「ほほう、来ましたな、一休さん。」
「はい、まいりました。」
「だが、橋を渡る前に、立札が目に入らなかったね。」
「見ました、見ました。」
「なんと書いてありましたかね。」
「このはしをわたるべからず。とありました。」
そこで竹斎さんは、きっとして、「ではなぜ、渡ってきたのですか。」
しかし、一休さん、すましたものです。
「はい、はしをわたるべからず、とありましたから、真ん中をわたってまいりました。」
それを聞いて、さすがの竹斎さんも感心してしまいました。
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今、日本語の学習が多くの国でプームとなっている。特に若者の日本語学習者数の伸びが目覚しく、日本へ来る留学生もずいぶん増えている。国際交流における日本語の重要さもこれから見直されるであろう。
王さんはアメリカから日本へ来てもう一年半になる。時のたつのは実に早いものだ。王さんがまだ日本語の勉強を始めたばかりのごろ、先生が「二年もたてば、かなり上手になる」と言われたが、確かに先生の言われたとおりだ。
よく日本語は難しいと言われる。王さんも学ぶほど難しくような気がする。王さんは日本語の勉強ずいぶん苦労したにもかかわらず、語彙や文法の点で まだまだ分からないところがある。彼はいま、留学の時間を十分に利用してむだのない毎日をおくっている。そして、来年の夏までに日本語が完全に身につくよ う努力したいと思っている。
会話
鈴木:
王さんのように日本語が達者になるまではずいぶんご苦心があるでしょうね。
王:
いや、私などは達者どころではありません。時々に下らない間違いをして、恥ずかしいくらいです。でもこのごろはいくらか分かってきたような気がします。
鈴木
いくらどころじゃない。ほんとによくお分かりなんだから、そうご謙遜なさらなくてもいいですよ。私はいつも感心しているんですが、発音や調子が日本人そっくりなので、どしてそんなにお上手になったかと思っているんですよ。
王
そうおだてると本気にしますよ。あなたは口がお上手だから。
鈴木
いや、おべっかじゃないんですよ。たいていの西洋人の日本語には、どことなく西洋人くさいところがあるものですが、あなたのには全くそれがなく、いかにも自然なので、実はいつかお伺いしたい思っていたんですよ。
王
日本語の発音はさはどのことはありませんが、閉口するのは長音と短音の区別ですね。これはよほど気をつけないと間違いますね。
鈴木
日本語では何が一番難しいですが。
王
日本語の名詞、代名詞、形容詞、副詞、などの使い方は比較的簡単ですが、動詞や助動詞の変化はややこしくて閉口ですね、ことにテニラハときたらお話になりません。
鈴木
そう言えば、英語の前置詞だってそうでしょう。
王
それはそうですけれども、日本語ほどじゃないと思いますね。その証拠には日本の学生はなかなか上手じゃないですか。
鈴木
あなたもなかなかお世辞がうまいですね。われわれの前置詞の使い方ときたらめちゃめちゃなんですよ。
王
前置詞はそれといっしょに用いる動詞や形容詞にくっつけて覚えるほうがいいですね。
鈴木
それはそうでしょうが、それを覚えるのができないんですよ。ぼくのように忘れっぼい者には、単語や熟語を暗記するだけでさえやっとなのに、文法の規則や例外をいろいろつめ込まなくちゃならないんですから、本当にいやになっちゃいますね。
王
私も忘れることと、怠けることにかけては、引けを取らない方ですから、ほかの人のことは言えないんですが、結局は根気の問題ですね。いくら頭のいい人でも根気がよくなければ語学はだめですね。平凡ですが、こつこつやるより仕方がありませんね。
鈴木
それはそうですね。私もあなたが日本語を話すくらい英語が流暢に話せるといいですがね。
王
ご冗談でしょう。私の日本語などはまだものになっておりません。しかし以前よりは少し上達したと思います。ただ困ることは日本語には実姉と実子とか、私立と市立とかのように、発音が同じで意味の違った言葉が多いのと、単語の発音の似ているのが多いことですよ。
鈴木
そうでしょうね、われわれでもずいぶん困るんですから。
王
それについてはずいぶんこっけいな失敗談がありますよ。電車の中で、「下ろしてください」と言おうとして、「殺してください」と言ってしまって恥をかきました。
鈴木
どうせ外国語で間違うのは当たり前ですから、「習うより慣れよ」と言うつもりで練習するんですね。
王
お互いにそのもりで練習しまょうね。
応用文
一休さんの話
ある日、和尚さまの碁の友達の竹斎さんから、使い人が来た和尚さまにこう言うのです。「いつも、お寺に遅くまでおじゃまをして申しわけありませんでした。まだには一休さんをおつれしてこちらへおでかけください。」
「それはありがたい」
和尚さまは、喜びました。そして、一休さんをつれて竹斎さんの家に来ました。
なんと大きな屋敷でしょう。前を川が流れていて、橋を渡ったところが、竹斎さんの屋敷の門です。
ところが、橋を渡ろうとした和尚さまが、ふと、立ちどまりました。
「…..竹斎め、失礼なやつだ。わしを呼んでおきながら…..」どしたのかと、一休さんがみると、橋を前に、立札がたっています。こう書いてあるのです。
このはしをわたるべからず。
和尚さまは怒ってしまいました。
「竹斎のやつ、自分の屋敷の橋を、直しもしない。きつと、板がくさっているんじゃろう。ばかばかしい、一休や、帰るぞ。」
けれども、そのとき、一休さんは、ははあと思いました。さては…
そこで、和尚さまに言いました。
「大丈夫です。橋の真ん中を通っていけばいいのです。」
一休さんは、すたすたと、渡って行きました。
「こ、これ、一休。危ないぞ。」
「平気、平気。」
とうとう、一休さんは、渡ってしまいました。
和尚さまは、こわごわ、橋の真ん中を通って、「やれやれ。」
そこへ、門をあけた、竹斎さんは現れました。
「ほほう、来ましたな、一休さん。」
「はい、まいりました。」
「だが、橋を渡る前に、立札が目に入らなかったね。」
「見ました、見ました。」
「なんと書いてありましたかね。」
「このはしをわたるべからず。とありました。」
そこで竹斎さんは、きっとして、「ではなぜ、渡ってきたのですか。」
しかし、一休さん、すましたものです。
「はい、はしをわたるべからず、とありましたから、真ん中をわたってまいりました。」
それを聞いて、さすがの竹斎さんも感心してしまいました。